境内
総門
総門は三間一戸の薬医門、切妻造の本瓦葺、脇塀が両側に付いています。
天明8年(1788)に左右の錬塀とともに修理したと記録が有ります。
本堂
戒壇の建物、当初より罹災し再建を繰り返して来ています。現在の建物は江戸時代に入って再建されたものです。
観世音寺村の鎌田八左衛門昌勝が寛文9年(1669)に方三間で建立し延宝8年(1680)に藩主忠之光之の援助により、天王寺屋了夢が再建しました。
寛保3年(1743)の再建が現在の形で、その後何回か修復がなされています。
今は方五間、重層入母屋造、本瓦葺の正面向拝一間を付けています。
内部は壇上積形式の石造戒壇を置き、壇上背面に須弥壇があり、本尊毘廬舎那仏(重文)左右に弥勒菩薩、文殊菩薩を安置しています。鑑真和上像、弘法大師像が祀つられています。
鐘楼
梵鐘は元禄14年(1701)博多磯野七兵衛正慶により楠屋白木玄流の遺言によって寄進されました。
鐘楼は宝永元年(1704)上棟で乱石積の高い基壇上にたて、袴腰付鐘楼です。
梵鐘は県の指定文化財になっています。
地蔵堂
桁一間、梁行一間の切妻造り浅瓦葺で、本堂東側にあります。
石造地蔵菩薩立像が祀られています。
元禄11年(1698)造作されています。元は地蔵菩薩は山門に祀られていました。
山門
今は礎石のみとなっていますが、元禄14年(1701)重層で建立され、階下に石造地蔵尊、賓頭廬尊者が安置されていました。
天明年間後半に倒壊した記録が残されています。
庫裏
庫裏は平成3年台風17号・19号によって、本堂、庫裏が甚大な被害を被り、全面的に新築され、内部に観音堂を造り祀られています。
茶室 (一啜菴 いっせつあん)
茶室は昭和36年1200年遠忌のために旧書院を改築して隠寮兼茶室にしたもので、平成6年の復興時、 庫裏を造る時に離れ屋を後(北側)に移し、茶室に造り変え移築して現在地に建てたものです。
一間床と5畳、4.5畳の二間に水屋を付けた茶室であります。
屋根は、当初は茅葺でしたが、茅葺風の剛板の屋根にしました。
一啜菴 いっせつあん
南宋末の僧介石智朋の恵山煎茶と題する詩から
「 一啜菴 」と名付けました。
瓦瓶破曉汲清冷、
石鼎移來壞砌烹。
萬壑松風供一啜、
自籠雙袖水邊行。
瓦瓶、破暁に清冷を汲み、
石鼎、移り来て壊砌に烹る。
万壑の松風、一啜に供し、
自ら双袖を籠めて水辺に行く。
仏像
本尊毘盧舎那仏
戒壇院の本堂、須弥壇上に毘盧舎那仏が安坐されています。
木造毘盧舎那仏坐像は藤原時代(寛平6年(894)~寿永4年(1185))の12世紀半ば頃の作と言われ、国の重要文化財に指定されています。
江戸時代に入って、この像の修理がきっかけとなり、戒壇院の復興が始まりました。崇福寺の智玄宗睦和尚が破損した本像を見かねて修理を発願し、寛文9年(1669)に修復がされました。
その後、昭和32年(1957)に修理がされています。
鑑真和上坐像
この鑑真和上像は宝永2年(1705)中興4世運照慧燈律師の時に京仏師照暁によって造られました。鑑真像は意外に少なくこの像は中でも古例に属します。
市の指定文化財になっています。
脇仏 (文殊菩薩像、弥勒菩薩像)
本尊の左右に立つ立像です。この両像は元禄12年(1699)に京都仏師照暁が造り、戒壇院で福岡の職人が漆塗りや金箔で仕上げる仕事に従事した記録が銘文に記されています。
元禄13年(1700)4月8日に開眼されています。
2体とも市の指定文化財となっています。
弘法大師像
真言宗開祖弘法大師空海の坐像です。真言律の祖として祀っています。
制作年代は宝暦年中(1751~1763)と考えられます。
達摩大師像
江戸時代天明6年(1786)に博多人形の祖と言われる三代正木宗七堅茂の作です。
土製焼成彩色されています。横岳(古崇福寺)徳隠薩和尚の寄付で、時の住職は太室玄昭和尚でした。
観音菩薩像
庫裏の観音堂に祀っています。
来歴は不明ですが、江戸時代の京仏師の作によるものと考えられます。
賓頭廬尊者像
江戸時代の作ですが、頭部を失っています。
戒壇院では最初、山門に安置されていましたが、山門倒壊後(天明年間後年)は本堂に祀つられていたと思われます。
地蔵菩薩像
この石像は最初、山門に祀つられていましたが山門倒壊後、お堂を作り祀られて今日に至っています。
石の立像で元禄11年(1698)に運照律師によって造られました。
その他
戒壇
本堂内陣に50cmほどの高さの石戒壇が設置されています。
方約5メートルの石戒壇には正面と東西に木の階段がつけられ、勾欄が巡らされており、歴史的にも貴重なものです。
石塔
イ. 石塔五輪塔
石塔五輪塔は、開山鑑真和上の供養塔です。
ロ. 変形宝篋印塔
変形宝篋印塔は、塔身に観音像が彫られており、天明7年(1787)に山崎勝重により奉納されました。
ハ. 石造五重塔は、江戸時代貞享2年(1685)戒壇院お堂を再建した豪商天王寺屋浦了無の供養塔です
銅鐘
イ.梵鐘
江戸時代元禄14年(1701)に鋳造されました。
福岡の白木玄流が願主となり、博多鋳造師磯野七兵衛正慶が造りました。運照律師の時でした。
県の指定文化財になっています。
江戸時代(1600年)以降に造られた梵鐘は第二次世界大戦に供出されて鋳つぶされ、殆ど残っていません。
貴重な文化遺産です。
ロ.銅半鐘
この半鐘は、貞享元年(1684)4月8日中興正洞律師の時、臼井道意の助成で博多磯野藤四郎尉正慶が鋳した。
県の指定文化財となっています。
ハ.雲版
食事(粥座、斎座)の時に合図として打ち鳴らします。
天明7年(1787)のものを文政6年(1823)に再造しています。
涅槃図
釈迦涅槃図は、2月15日に亡くなられたお釈迦さまを描いた絵図です。
江戸時代天和3年(1683)に久野道立によって寄付され、安永、文政の時に久野家により修理されたことが記されています。